【訃報】「がんこ寿司」創業者・小嶋淳司氏が91歳で死去。4坪半の寿司店から始まった“がんこ”と十三の深い関係。

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十三を歩いていると、「がんこ」の文字を目にする機会は少なくありません。寿司や和食を中心に、関西を代表する外食チェーンへと成長した「がんこフードサービス」。その原点が、実はここ十三にあったことをご存じでしょうか?

そんな「がんこ」の創業者であり、長年にわたって会社を率いてきた小嶋淳司(こじま あつし)氏が、2026年8月19日午後1時41分、老衰のため大阪市内の病院で亡くなられました。91歳でした。訃報は8月25日に公表され、葬儀は近親者で執り行われたとのこと。後日、お別れの会が予定されています。

出典:「がんこフードサービス」公式サイトより

今回は、十三の街と深い関わりを持つ「がんこ寿司」の成り立ちと、小嶋淳司氏が歩んできた歴史を振り返ってみたいと思います。

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■「がんこ」の始まりは、十三のわずか4坪半の寿司店

1935年、和歌山県生まれの小嶋淳司氏。
高校時代から実家の商売を手伝い、1962年に同志社大学経済学部を卒業。その後、寿司店で修業を積み、1963年、大阪・十三でわずか4坪半の小さな寿司店を創業します。

出典:「株式会社GANKO」公式サイトより

これが現在の「がんこ」の原点です。

当時の十三は、現在と同じように飲食店がひしめく活気ある繁華街。そんな寿司の激戦区に、小さな店を構えた小嶋氏ですが、最初から「普通の寿司屋」とは少し違った考え方を持っていました。

当時の寿司店では、魚の仕入れ価格が日々変動することもあり、「時価」で提供するのが一般的でした。ところが小嶋氏は、「お客さんが値段の分からない状態で食事をするのはおかしい」と考え、寿司をできるだけ分かりやすい定価で提供することを目指します。

魚市場で価格の変動を調べ、その平均値などを参考にしながら価格を設定。良いネタを使いながらも、分かりやすい価格で食べてもらうというスタイルを打ち出しました。

これが評判を呼び、4坪半の小さな寿司店は繁盛店へ(当時は総本店のお隣にある、写真の場所で営業がスタートしたのだとか)。

そして創業からわずか2年後の1965年には、十三で106席を備えた大型寿司店「十三寿司店」を開店。小さな寿司店から、当時としては非常に珍しい大型寿司店へと一気に成長していきます。

まさに、「がんこ」の大きな飛躍が始まったのが十三だったわけです。

■「がんこ」という名前の由来も小嶋氏にあり

ところで、なぜ「がんこ」という名前なのでしょうか?
実は、この名前は小嶋淳司氏の学生時代からの「あだ名」が由来とされています。

自分が納得したことを曲げない、文字通り“頑固”な性格から呼ばれていた名前を、そのまま店名に採用したのだそうです。

出典:「株式会社GANKO」公式サイトより

しかし、この「頑固さ」は単なる意地っ張りという意味ではありません。

「良いものを、できるだけリーズナブルに提供する」「お客様に喜んでもらう」という商売へのこだわりを、時代が変わっても曲げない。

現在の「がんこ」が掲げる「旨くて、安くて、楽しい」という考え方にも、その精神が受け継がれています。

■十三から大阪、そして全国へ

1969年には「小嶋商事株式会社」を設立。

1973年には十三本店の地下にセントラルキッチンを開設し、1975年には淀川区田川に配送センターを開設するなど、店舗だけではなく、食材の加工・物流まで含めた仕組みづくりにも取り組みます。

そして1980年、「小嶋商事株式会社」から現在の「がんこフードサービス株式会社」へ社名を変更。1983年には初の大型複合店となる難波本店を出店。さらに1987年には本社を大阪市淀川区十三へ移転し、トレーニングセンターも開設しています。

つまり、がんこにとって十三は「最初のお店があった街」というだけではありません。

創業の地としてスタートし、店舗を大きくし、セントラルキッチンや配送拠点、本社まで置かれた、まさに「がんこの故郷」と呼べる場所だったのです。

■“寿司屋”から“和食のがんこ”へ

その後の「がんこ」は、寿司だけにとどまりません。

寿司・和食を中心に、とんかつやハンバーグなど幅広い業態へ展開。さらに歴史的建築物などを活用した「お屋敷」業態にも進出し、単なる外食チェーンではなく、日本の食文化や伝統を楽しめる店づくりにも取り組んできました。

出典:「株式会社GANKO」公式サイトより

一方で、急激な店舗拡大だけを追い求めたわけではありません。

小嶋氏は「人・人・人」を重視し、従業員の育成にも力を注いだ経営者として知られています。過去にはテイクアウト事業を急速に拡大したものの、組織にひずみが生じたことから事業を売却し、改めて人材育成を重視する方向へ舵を切ったエピソードも紹介されています。

2005年には藍綬褒章を受章。同年、代表取締役会長に就任しています。

その後も関西経済同友会の代表幹事や日本フードサービス協会会長などを歴任し、関西の外食産業だけでなく、経済界でも存在感を示しました。

■実は「なにわ淀川花火大会」とも深い関係

そして、十三・淀川エリアとの関係を語る上でもう一つ忘れてはいけないのが、「なにわ淀川花火大会」です。

現在では大阪の夏を代表する一大イベントとなっている「なにわ淀川花火大会」ですが、そのルーツには十三の街を盛り上げるために開催されていた「十三どんとこい祭」があります。

1989年に「平成淀川花火大会」として第1回が開催され、その後、現在の「なにわ淀川花火大会」へと発展。小嶋氏も長年にわたって大会運営に携わり、大会会長などを務めました。

つまり小嶋氏は、「がんこ」という一企業を大きくしただけではなく、十三・淀川という街そのものを盛り上げる活動にも長く関わってきた人物だったのです。

十三の夏の風物詩として多くの人が楽しみにしている淀川の花火にも、こうした地域の人々や企業による長年の取り組みがありました。

その歴史の中で小嶋氏が果たした役割は、決して小さくありません。

■今も十三に残る「がんこ」の原点

現在、十三サカエマチ商店街内には今も「がんこ 十三総本店」が営業しています。

和食・十三総本店

寿司や和食を楽しめる大型店として営業を続けており、現在の店舗は総席数282席、最大112名まで収容できる宴会場も備えています。

ここでぜひ知っておいてほしいのが、「がんこ 十三総本店」は、現在の店舗そのものが1963年創業時の4坪半の店という意味ではないということ。

しかし、「がんこ」というブランドが生まれた十三の街に、現在も“十三総本店”が存在しているということには、大きな意味があります。

4坪半から始まった小さな寿司店が、60年以上の時を経て、関西を代表する外食ブランドへ。

そのスタート地点が、私たちが普段何気なく歩いている十三だったんです。

そう考えると、十三の街で「がんこ」の看板を見かけたとき、少し違った景色に見えてくるのではないでしょうか。

■十三から始まった「がんこ」の歴史をこれからも

2026年8月19日。小嶋淳司氏は91年の生涯を閉じられました。
けれど、1963年に十三で始まった「がんこ」の歴史は、今も続いています。

4坪半の小さな寿司店から始まり、定価販売という当時としては画期的なスタイルを取り入れ、106席の大型寿司店へ。そして大阪各地、関西、関東へと事業を広げ、寿司・和食を中心とする一大外食グループへと成長。

その原点には、「お客様に喜んでもらえる商売をしたい」という、小嶋氏の強いこだわりがありました。そして、その物語の第1ページが刻まれた場所こそ、ここ十三です。

十三で生まれ、十三とともに大きくなった「がんこ」。

小嶋淳司氏の訃報に接した今だからこそ、私たちの身近にある「がんこ」が歩んできた歴史と、十三という街とのつながりを、改めて振り返ってみてはいかがでしょうか。

小嶋淳司さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。


店舗名
寿司・和食 がんこ 十三総本店
住所
〒532-0024
大阪府大阪市淀川区十三本町1-9-9【MAP】
営業時間
月~木・日 11:00~22:00(L.O.21:30)
金・土 11:00~23:00(L.O.22:30)
TEL
050-1720-2363
公式サイト
がんこ 十三総本店 公式ページ

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